最期まで自分らしく、あり続けるために。
高齢となり身近な人の死や、環境変化などの喪失感を経験する中、自分が誰の役にも立たない、自分にはもう価値がないと
思い知らされることは、人間にとって大きなストレスとなり失望感へとつながります。
また、今までできていたことが、できなくなるという、自分自身への喪失感に加え、認知症の状態になると、生活のしづらさや不自由さも重なります。
しかし、そこで周囲の者が「もう出来ない」と、全てお世話をしてしまっては、本当は出来ることさえも奪ってしまうことになるのです。
ではどうしたら良いのでしょう?
役割を持ち続けることが認知症の進行予防につながる
様々な生活のしづらさや不自由さの、どの部分を支えれば「できる」のか。どんな支援や工夫があれば「できる」のか。
どんな気持ちであれば「できる」のか。それを考え、実践することが「いろはな」の支援です。
「前はできていたのに、できなくなったこと」を「工夫や支援があれば、できること」へ。
認知症の状態であっても出来ることはまだたくさんあるのです。
この「できる」ことの繰り返しは、「自分には価値が無い」というストレス状態の緩和となり、自分自身への満足感、
そして自信の再獲得になります。
そして、この役割を持ち続けることが認知症の進行予防につながるのです。
では役割とは?
どんな役割が良いのでしょう。
高齢者施設で行われている活動は色々あります。
この中から役割を見出すのが良いことなのでしょうか。
お茶碗洗い
タオル干しやタオルたたみ
レクリエーション
折り紙
予定や活動内容が決まっている中、管理されたスケジュールやプログラムの中に高齢者を組み込んで
行う活動が本当にその方の役割なのでしょうか。
お菓子職人だった方が居るから、だからお菓子作りであり、
お魚屋さんだった方が居るから、一匹さばいてもらう石狩鍋であり、
合唱団で歌うことが大好きだった方が、自ら「歌の会のリード役」を担ってくれる。
経験など培ってきたことから生まれる役割。
関係性の中から自然に生まれる役割。
それが本当の意味での役割なのではないでしょうか。
ひとりとしっかり向き合うことから始まる
支援を行うにあたり、とても大切なことがあります。それは「お互い」の関係性の中に生まれる信頼関係です。
「いろはな」では長く積み重ねられた人生に想いを寄せ、ひとりとしっかり向き合うことから始まります。
誰もがひとりの人間として尊ばれ大切にされることを前提に、人と人とのつながりの中で、共に感じ合い、響き合う。
「あなたが居たからできた」「あなたに会えてよかった」「あなたと一緒でよかった」
共に過ごしていく中で、お互いにその「あなた」になれた時、信頼関係が結ばれます。
最期まで豊かに生きるために。
最期まで自分らしくあり続ける為に。
人と人とのつながりの中で、あなたと一緒に感じられる日々を大切に過ごしたいと強く願っています。